softtail.log | 自転車でのポタリング日記と自転車話+α

    大正7年の謎

    どうしても解けない謎にぶち当たり、一向に前に進めない。
    でももういいや。謎は謎として、もうぶちまけてしまおう。


    それは、ゆりや食堂が面している小路の過去。


    前回も同じ地図を載せましたが、ゆりや食堂が店を構える小路、あきらかに何か訴えかけてくるものがある。


    ゆりや食堂が面している小路、あぁもう面倒くさいので本ブログでは「ゆりや小路」とさせていただくが、あきらかに元々は円山から続く「裏参道~南一条通り」の一部であったであろうに、ホワーイ何故に(もう通じないよね)その南側に太い道路が出来ていて、現在はそちらが南一条通りとなっているのか。そして西20丁目を境にして、この通りのつながりがあきらかに不自然だ。

    えーと、今回の話、付いてこれませんよね皆さんきっと。
    でも、地名・住所にまつわる歴史好き(マニアやオタクの領域には程遠い)で、自転車趣味と地理・歴史系ネタは自分の中で切っても切れないのもなので、もう完全に

    想定読者=俺のみ

    として書いています。
    今回は特に。

    誰に言ってるのだ、いったい。


    さて気を取り直してネットで色々調べていると、まぁなんとなくこの辺の道路開発経緯は分かった。
    元々西20丁目を境にして西側は円山村・東側は札幌で、円山村から札幌市街地まで一本道が通された。
    これが今で言うところの、裏参道(円山側)からの「ゆりや小路(と言っているのは本ブログだけだが)。
    もともと円山から伸ばしてきただろうから、ゆりや小路が裏参道から地理的に真っ直ぐ続いているのは分かる。

    #ちなみにゆりや食堂が開店したのは戦後間もなくらしいので、当時の人たちに「ゆりや小路」と言っても何がなにやらさっぱりなので注意しよう(しない)。

    その後、札幌も独自の都市計画によっていわゆる「碁盤の目」の都市計画に従って道路を作ってきた。そうすると札幌側の「南一条通り」と円山へ続く裏参道は微妙にずれる。
    この様子は、明治42年の「札幌市街地図」を見てもよく判る。
    さぁリンク先の地図(札幌中央図書館のデジタルライブラリー、いやぁこれ見始めると時間がいくらあっても足りない)を見るが良い。

    こちらです。

    この地図の左端を見ると、西20丁目までが「札幌」で、札幌から一本だけ西(左)に伸びる道があるのが分かる。これが今で言う裏参道で、この道は西20丁目を境に「ゆりや小路」に接続しているのが分かる。
    そしてゆりや小路と、その周りの(札幌の都市計画に従って作られた)道路との間にはゆがみがあるのも分かる。

    まぁ別にゆがんでいても良かったのかもしれないけど、大正の時代に入ってから電気軌道(路面電車)がどんどん張り巡らされるようになってきて、大正12年に札幌側から西20丁目(琴似街道)まで延伸された。そしてその軌道は円山まで延伸することを想定していたのだろうけど、なぜか円山まで素直につながる「ゆりや小路」を通らずに、「札幌の都市計画に沿って作られた南一条通り」を通っている。
    この通りが作られたことで、この通りとゆりや小路にはさまれた三角地帯みたいな地域が生まれた。

    昭和3年の地図、この左端を見ると、上記の三角地帯が生まれ、ゆりや小路の南側、南一条通りに電車が走っているのが分かる。

    ちなみにこの地図、デジタルデータで全25ページ。上のリンクはその12ページ目。
    あぁそうさ、地図全部見て探したさ。
    暇なのか?自分・・・

    想像するに、ゆりや小路は電車走らせるには狭すぎたのかな、と。
    だから小路とは別に、札幌の都市計画に沿った真っ直ぐ西進する道路作って、そこにレール引いたのかなぁ、なんて考えていました。
    そう考えると、なんとなく辻褄は合う。
    そして、メインストリートの座から路地に格下げとなったゆりや小路は、時を止めて時代の流れとはちょっと違う時間軸で今に至る・・・

    と思ったんですけど、一枚の地図がこの仮説に異を唱えやがりました。
    大正7年の地図。この地図の真ん中、左端を見ていただきたい。

    この地図を見ると、大正7年の段階では南一条通りがゆりや小路と接続していて、いやでも都市計画上はその南側にちゃんと真っ直ぐな道作るもんね!という計画が点線で描かれていて、その上で

    ゆりや小路を電車線路が走っている。

    いったいこの線路はなんなんだ?
    札幌市電の歴史上にも、そのほかの馬車鉄道の軌道にも、こんな路線でてこない(調べ方が甘いのかも知れないが)。

    当時、馬車軌道みたいなものは随分街中を走り回っていて、それがどうも大正7年の博覧会を目標に、一気に電気軌道化されていったらしい。そんな馬車軌道のひとつが走っていたのか、それとも地図が間違っているのか・・・


    もう一週間以上、この謎が気になってネットの海を放浪中。
    いやこれは、図書館とかでがっつり調べないとだめかなぁ・・・


    なにやってるんだ、いったい。


    関連記事
    スポンサーサイト

    Posted by ゆげ1号 on  | 2 comments  0 trackback

    2 Comments

    通りすがりの親族 says...""
    私には見える…見えるぞ…
    郷土史沼にズブズブと嵌っていく姿が…w
    2016.12.14 07:07 | URL | #- [edit]
    ゆげ says...""
    いやーそうなのよ。郷土史って大人になってから触れると面白いわ(笑)
    2016.12.14 20:57 | URL | #qbIq4rIg [edit]

    Leave a reply






    管理者にだけ表示を許可する

    Trackbacks

    trackbackURL:http://softtail.blog103.fc2.com/tb.php/940-1cfcb0ca
    該当の記事は見つかりませんでした。