softtail.log | 自転車でのポタリング日記と自転車話+α

    無題(1号)

    あの大地震から1年。

    本日、テレビは東日本大震災の総括番組ばかり。
    なんかとてもじゃないけど観てられなかった、いや実は本日なんか調子悪くて14時くらいまで寝てたのだけど、まぁなんとなく我が家は本日テレビ放送視聴自粛日となりました。

    1年経ったからといって今回の話を句切っちゃいけないんだけど、この1年はやっぱり特別な年だった。
    震災がらみで起こった物不足、節電、支援活動。
    震災とは関係なく、たまたま今年度にまわって来た仕事やキャリア関連のチャンス。
    そんなこんなの根底を支える、家庭の日常生活が毎日、非日常的に過ぎていくこと。

    まぁなんとか乗り切れたし、その中で色々なことも学んだ。
    全部100点じゃないけど、自分自身にとっては思った以上の結果だった。
    自分の手が届く範囲に限れば、なんとかなった。

    でも、友人たちの輪の一員として、社会人として、国民として、そしてネット住人(って書いておきながらこの言い方何とかしたいんだけどな)としてはどうだったのか。
    いや、やることやってた側面もあるんですよブログには書いてないけど(←言い訳)。
    でもね、あまりの不甲斐なさに未だに苛まれることも。

    最近東電とか政府とかの初動の不甲斐なさに対して指摘が散々(手のひらを返して)噴出してきてるけど、あの状況で適切に動けるかどうかっていうのは「備え」の問題なんだろうかって疑問に思う。
    東電関係者でも政府関係者でもないし、彼らが背負っている責任の大きさはそりゃあ大きなものだけど、いざあーいう状況になったときに、意外と「なんとかできる人間」は本当に少ないんだってこと、自分の会社でも本当に骨身にしみた。

    まぁうちの会社がぎりぎり何とかできたのはそういう人たちが死ぬ気で踏ん張ったからなんだけど、いやすげー右往左往はびっくりするくらい発生しましたよえぇ。
    そこから敷衍して考えたら、なんか政府やら東電やらの腰の引けっぷりもなんか判らんでもない気がする。

    でもこれって、本当に「備え」られるもんなんだろうか。
    まだ、よくわからない。

    でさ、そういう「ぎりぎり死ぬ気で踏ん張ったいろいろ」がだんだん社内では「なかったこと」になっていくんだよな。それは誰かの不甲斐なさをみんなで責め立てることだから。

    報道も色々検証しようとしているけど、責められる方は全力で無かった事に倒そうとするんだろう。


    やっぱり、「駄目だった人を責める」ことは「本当に大事な教訓を握りつぶしてしまう」ことに繋がるんじゃないか。
    被害にあった人のことを考えたら、本当にヘタ打ったやつは首くくれ!って思うのもむべなるかななんだけど。


    被災地の復興もまだまだ続いていくし、こういうことをどうしたらいいのかもまだまだ考えていかなきゃならない。

    やっぱり、この日を区切りにする気にはなれない。
    うーむ・・・

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    Posted by ゆげ1号 on  | 0 comments  0 trackback

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