softtail.log | 自転車でのポタリング日記と自転車話+α

    1330km

    大晦日、最低限の掃除片づけをすませ、今年最後のジムへ。

    1年のラン距離、1330kmでした。
    走るなんてまったく興味なかった2年前からは、想像できない距離だ。
    よりによって大晦日まで走るか?って目で見られるかもしれないですけど、いやほんとそうですよね。

    でもね、ジムに行ってみると、こんな日にも何人か利用者がいるんですよ。
    少なくとも、ジムに来る人たちは何かしらのスポーツ的な目標なり、自分の体調や健康をコントロールしなくちゃいけない動機なりがあるわけで(自暴自棄になって自分なんかどうなってもいいって人がジムで汗流すわけ無い)、別に他の利用者と話したりすることも無いんだけど、あぁこの人たちはみんないろんな理由や動機はあれど、それぞれの明日に向かっているのだなぁなんて思う。


    そして明日から2017年。
    個人的には身辺色々な事案が発生して、翻弄される予感たっぷりですが、それでも自分なりの明日に向かっていきたいと思う次第です。

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    雪道は、ゆっくりと、均一なトルクで走る。
    一等賞を目指しているのじゃないのだから、安全に、確実に、だな。


    今年もお世話になりました。
    良いお年を。


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    Posted by ゆげ1号 on  | 0 comments  0 trackback

    今はしかたない

    今年の12月は本当に慌しい。
    別に残業続きとか過重労働とか、そういう話ではないのだけれど、まぁ公私共にいろんなことが起こる。いいこともわるいことも、どうでもいいことものっぴきならないことも。

    ツイッターのタイムラインからは「毒吐きまくりですね」みたいなご心配も頂戴しましたが、確かにさ、物事にじっくり向き合って乗り越えていけず、100人組み手みたいにばったばったと仕事してると心が殺伐としてくる。
    でもまぁ、そんな話はともかくとして、このままだと12月の記事が1件になってしまいそうなので近況報告的なお話。


    ■ゆげ1号、アトピーだってよ

    いきなり病気ネタで恐縮ですが、12月のある日突然、背中に発疹が。
    自分では見えないので、なんか痒いなーくらいの認識しかなかったのだけど、妻氏から可及的速やかに病院へ行く旨厳命されてしまい、まー会社休む口実になっていいか、今日は会議もあんまり入ってないし的なノリで皮膚科に行ったんですけどね。

    薬どっさり処方され、血液検査されて翌週に再受診したらあっさりと

    「アトピーですね。これは遺伝的に貴方が背負っているもので、なにか原因があってこうなっているわけじゃないので(アレルゲンから遠ざかったらアレルギー反応は出ないけどそれはアレルギーがなくなったわけじゃない、みたいな話)、その抱えている爆弾とどう付き合っていくか、どう押さえ込んでいくかをちょっと考えていきましょう」

    的な話をされ、なんか定期的に通院して治療をしていくような話に。
    もう背中も痒くないし、自覚症状ないからすげー納得感無いんだよなー。
    いや、医師のおっしゃることも判る。でもなんか、心がついていってない感じ。


    ■記録的大雪

    そうだ。
    この12月は2回に渡ってどっさり雪が降ったんだ。
    月の始めなんて、せいぜいこんな調子だったんだ。
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    それが1回目、12月10日(土)。
    この日は市電が終日運休し、私は風邪かインフルエンザかどっちつかずな症状に悩まされて大雪の中、かかりつけ医の元へ行って
    「こんな初期だとどっちかなんて判んないから、とりあえず熱ガツンと上がったらこの解熱剤飲んで凌げ」
    という極めて合理的な診断を頂戴し、翌日すっかり熱も下がってあーよかった、でも雪かき大変だーみたいな週末だったのです。

    そして2回目、12月22日(木)。
    クリスマス前に、湿った雪がどかどかと。

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    この日から週末にかけ、道路交通網はマヒ状態。新千歳空港も除雪が追いつかず、多くの人々が足止め。
    そうだ、この自然と折り合いつけながら生きていくんだよな、我々は。


    ■そんななか、ゆげ一家は

    家族忘年会を開催してました。

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    鉄道居酒屋・ぽぷら
    鉄道とバスをテーマにした、趣味の店。

    いやー濃かった・・・
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    ちなみに個室を予約したら、こんな部屋。全部操作できる(操作方法理解できれば)。
    座席は路線バスのシート。これが実に座り心地良い(笑)。

    また、過去の市内路線バスの車内案内テープをかなりコレクションされているようで、我々が若い頃に良くお世話になった路線なんかも出していただき、「次は●●、XX眼科へお越しの方は、こちらで降りられると便利です」
    みたいな懐かしいアナウンスを聴きながらお酒飲むのは、とても楽しかった。
    おまけにね、路線バスのシートに座って飲めるのは、かなりいいですよ。
    ふつう、無理じゃないですか。路線バスでお酒飲むのって。
    ここではある意味、夢がかなう。

    さすがに記録的大雪の日(そもそも平日)、他のお客さんの姿はそれほど多くなかったけど、色々話もできて楽しかった。
    我々はこっちの世界のマニアではないけれど、好きでのめりこんでいる人の話を聞くのはすきだなー。


    そして日曜日、物置の屋根に上って溜まりに溜まった雪を排雪(しないと物置つぶれるんだよ、下手すると)。
    通称「雪下ろし」。

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    元々降り積もっていた雪+屋根から下ろした雪の量は、楽勝でかまくら作れるくらい。
    北国ならでは、ですかね。


    とにもかくにも、だ。
    病気やら除雪やら、そしてその合間を縫ってジムで走って、またその隙間には各種忘年会やクリスマスが紛れ込み、残った隙間時間に仕事なわけですよ(順序性を真に受けないでください)

    ほんとに、あわただしい。おまけに慣れない除雪の影響で筋肉痛&軽い腰痛。
    こんな中、自転車関係のイベントや観たかった映画とか、なんかぽろぽろといろんなことを取りこぼしている。


    やるせないけど、今は仕方ない。
    いいことも、わるいことも、もう少し間引いて来てくれるといいんだけどね。

    Category : 日々の諸々
    Posted by ゆげ1号 on  | 0 comments  0 trackback

    大正7年の謎

    どうしても解けない謎にぶち当たり、一向に前に進めない。
    でももういいや。謎は謎として、もうぶちまけてしまおう。


    それは、ゆりや食堂が面している小路の過去。


    前回も同じ地図を載せましたが、ゆりや食堂が店を構える小路、あきらかに何か訴えかけてくるものがある。


    ゆりや食堂が面している小路、あぁもう面倒くさいので本ブログでは「ゆりや小路」とさせていただくが、あきらかに元々は円山から続く「裏参道~南一条通り」の一部であったであろうに、ホワーイ何故に(もう通じないよね)その南側に太い道路が出来ていて、現在はそちらが南一条通りとなっているのか。そして西20丁目を境にして、この通りのつながりがあきらかに不自然だ。

    えーと、今回の話、付いてこれませんよね皆さんきっと。
    でも、地名・住所にまつわる歴史好き(マニアやオタクの領域には程遠い)で、自転車趣味と地理・歴史系ネタは自分の中で切っても切れないのもなので、もう完全に

    想定読者=俺のみ

    として書いています。
    今回は特に。

    誰に言ってるのだ、いったい。


    さて気を取り直してネットで色々調べていると、まぁなんとなくこの辺の道路開発経緯は分かった。
    元々西20丁目を境にして西側は円山村・東側は札幌で、円山村から札幌市街地まで一本道が通された。
    これが今で言うところの、裏参道(円山側)からの「ゆりや小路(と言っているのは本ブログだけだが)。
    もともと円山から伸ばしてきただろうから、ゆりや小路が裏参道から地理的に真っ直ぐ続いているのは分かる。

    #ちなみにゆりや食堂が開店したのは戦後間もなくらしいので、当時の人たちに「ゆりや小路」と言っても何がなにやらさっぱりなので注意しよう(しない)。

    その後、札幌も独自の都市計画によっていわゆる「碁盤の目」の都市計画に従って道路を作ってきた。そうすると札幌側の「南一条通り」と円山へ続く裏参道は微妙にずれる。
    この様子は、明治42年の「札幌市街地図」を見てもよく判る。
    さぁリンク先の地図(札幌中央図書館のデジタルライブラリー、いやぁこれ見始めると時間がいくらあっても足りない)を見るが良い。

    こちらです。

    この地図の左端を見ると、西20丁目までが「札幌」で、札幌から一本だけ西(左)に伸びる道があるのが分かる。これが今で言う裏参道で、この道は西20丁目を境に「ゆりや小路」に接続しているのが分かる。
    そしてゆりや小路と、その周りの(札幌の都市計画に従って作られた)道路との間にはゆがみがあるのも分かる。

    まぁ別にゆがんでいても良かったのかもしれないけど、大正の時代に入ってから電気軌道(路面電車)がどんどん張り巡らされるようになってきて、大正12年に札幌側から西20丁目(琴似街道)まで延伸された。そしてその軌道は円山まで延伸することを想定していたのだろうけど、なぜか円山まで素直につながる「ゆりや小路」を通らずに、「札幌の都市計画に沿って作られた南一条通り」を通っている。
    この通りが作られたことで、この通りとゆりや小路にはさまれた三角地帯みたいな地域が生まれた。

    昭和3年の地図、この左端を見ると、上記の三角地帯が生まれ、ゆりや小路の南側、南一条通りに電車が走っているのが分かる。

    ちなみにこの地図、デジタルデータで全25ページ。上のリンクはその12ページ目。
    あぁそうさ、地図全部見て探したさ。
    暇なのか?自分・・・

    想像するに、ゆりや小路は電車走らせるには狭すぎたのかな、と。
    だから小路とは別に、札幌の都市計画に沿った真っ直ぐ西進する道路作って、そこにレール引いたのかなぁ、なんて考えていました。
    そう考えると、なんとなく辻褄は合う。
    そして、メインストリートの座から路地に格下げとなったゆりや小路は、時を止めて時代の流れとはちょっと違う時間軸で今に至る・・・

    と思ったんですけど、一枚の地図がこの仮説に異を唱えやがりました。
    大正7年の地図。この地図の真ん中、左端を見ていただきたい。

    この地図を見ると、大正7年の段階では南一条通りがゆりや小路と接続していて、いやでも都市計画上はその南側にちゃんと真っ直ぐな道作るもんね!という計画が点線で描かれていて、その上で

    ゆりや小路を電車線路が走っている。

    いったいこの線路はなんなんだ?
    札幌市電の歴史上にも、そのほかの馬車鉄道の軌道にも、こんな路線でてこない(調べ方が甘いのかも知れないが)。

    当時、馬車軌道みたいなものは随分街中を走り回っていて、それがどうも大正7年の博覧会を目標に、一気に電気軌道化されていったらしい。そんな馬車軌道のひとつが走っていたのか、それとも地図が間違っているのか・・・


    もう一週間以上、この謎が気になってネットの海を放浪中。
    いやこれは、図書館とかでがっつり調べないとだめかなぁ・・・


    なにやってるんだ、いったい。


    Posted by ゆげ1号 on  | 2 comments  0 trackback
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