softtail.log | 自転車でのポタリング日記と自転車話+α

    やすむことを サボってはいけない

    毎年、この季節になると業界の親睦駅伝大会みたいなのがあるんです。

    数年前に札幌に転勤して、このイベントに半ば強制的な動員。
    これがきっかけになって、人生でほぼ初めてとなるランへの取り組みが始まりました。

    子供の頃から、走ること、特に長距離走は死ぬほど嫌い。
    大人になって自転車とか始めるようになり、身体がスポーツに多少なじむようになっても、走るのだけはずっと避けてきた。
    だんだん中年に差しかかって来ると、周りのおっさんたちの中にも走り始める人たちが増えてくるのだけれど、いやなんかそういう流れに断固逆らうかのようにランは避けてきた。

    だってさ、ランやってる人ってまぁよく故障するじゃないですか。
    なんでそんな怪我ばっかりするのに走るのさ。
    でもって怪我したら自転車乗れなくなるじゃないですか。私の本業(?)は自転車ゆえ、そっちに差し支えありそうなアクティビティとはちょっと距離を置かせていただきたい所存なわけです。

    とはいえ、数年前に初めてこの駅伝大会に動員させられ、まぁそこでの記録がなかなか残念な結果となってしまったのがよっぽど悔しかったんだなー。
    そこから、ジムでのトレッドミルを中心としたランニング生活が始まった。
    ジムだと会社帰りに寄れるし、生活に負担のかからないやり方でやっていかないと続かないし。

    最初は5キロ走ってあー疲れた、満足満足って感じだったのが、だんだん、少しずつ走れる距離もタイムも向上していく。
    40半ばのおっさんにとって、自分の能力や成果が日々向上していくなんて事はそうそうあるわけも無く、そこになんか癒しのようなものを見出していたんだろうな。

    気がついたら月間走行キロ数はコンスタントに100キロを越えるようになっていた。
    まぁいわゆるランナーという人々の基準からすると初級者レベルの練習量なんだけど、数年前の自分からすると想像もつかない姿だ。


    そして、ご多分にもれず、アキレス腱炎や腰痛に悩まされることになった。
    これはフォームが悪かったり、あと走り続けていると筋肉より心肺機能の方が先にレベルアップしてしまうようで、心肺的にもっと飛ばせそうだーって調子に乗ってしまうと筋肉や腱が悲鳴を上げ始めることになる。

    この、身体のアンバランス状態を上手くマネージメントすることが大事なんだってことに気付くのに、随分時間が必要だった。
    今年、みやすのんき本と出会ってフォームを見直したら、アキレス腱の痛みはウソのようになくなった。

    そして今年の駅伝大会も近づき、目標タイムを達成すべく、ランの強度も徐々に上げていった・・・ところで、ある日突然、走っている最中に左足、腿の裏側にぴきーんって激痛。

    診断、ハムストリングスの肉離れ。
    6週間、ラン禁止ね。
    見えないから実感湧かないと思うけど、まだ断裂した筋繊維のとこ、内出血続いてるからね。
    つーか、痛み止め処方しなくて大丈夫?(いやそれほど痛くないんですけど・・・)
    テーピングさぼらないでね。

    1週間後。
    心肺機能下げたくないでしょ?自転車ならOK。
    ん?自転車もハムスト使う?あぁ、引き脚禁止ね。OK?
    え?トレッドミルでスピード上げなければ良いかって?駄目。負荷上げ過ぎる人が肉離れやっちゃうんだよ。絶対にやっちゃうから駄目。
    振り出しに戻りたいのかい?

    先生、判りました。
    厳密に言うと、引き足使わなくても「引き手」によってハムストは発動するんですけど・・・そういう話、ここでは要らないですね。サイクリスト目線に合わせて話していただけたので、素直に従おうと思います。


    負荷のバランスに気を配ること。
    そしてなにより、筋肉は負荷をかけた後に休ませないと、傷つくだけで強くならない。

    だから、そうだ。「休む」ことを「サボった」ことが、ダメージをどんどん蓄積させて故障という結果になったんだ。
    今年の駅伝は無念のDNS(Do Not Start)。

    ほんと、無念。いや色々な事情が込められているんですよ、この無念って気持ちには。
    でも、これは自業自得。
    今は治すしかない。

    教訓。
    やすむことを、サボってはいけない。
    そんなことに気付かされながら、今月で45歳になりました。
    人生はまだまだ試される上り坂続きだ。

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    Posted by ゆげ1号 on  | 0 comments  0 trackback

    嵐は過ぎた

    なんとか、乗り越えました。

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    来る日も来る日も、夜明けを感じながら仕事場に向かう日々でした。
    晴れの日も雪の日もありましたが、半月で随分と夜明けが早くなったなぁと実感。

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    気がつくともう2月も終わりだ。
    そりゃそうだよね。冬至から2ヶ月も経つんだもの。夜明けも早くなるか。

    今回の仕事、この街で関わった、一番大きな仕事になりました。
    たぶん。

    いい経験になった。


    以上、取り急ぎ帰還報告(どこにも行ってないけど)でした。

    Posted by ゆげ1号 on  | 0 comments  0 trackback

    1330km

    大晦日、最低限の掃除片づけをすませ、今年最後のジムへ。

    1年のラン距離、1330kmでした。
    走るなんてまったく興味なかった2年前からは、想像できない距離だ。
    よりによって大晦日まで走るか?って目で見られるかもしれないですけど、いやほんとそうですよね。

    でもね、ジムに行ってみると、こんな日にも何人か利用者がいるんですよ。
    少なくとも、ジムに来る人たちは何かしらのスポーツ的な目標なり、自分の体調や健康をコントロールしなくちゃいけない動機なりがあるわけで(自暴自棄になって自分なんかどうなってもいいって人がジムで汗流すわけ無い)、別に他の利用者と話したりすることも無いんだけど、あぁこの人たちはみんないろんな理由や動機はあれど、それぞれの明日に向かっているのだなぁなんて思う。


    そして明日から2017年。
    個人的には身辺色々な事案が発生して、翻弄される予感たっぷりですが、それでも自分なりの明日に向かっていきたいと思う次第です。

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    雪道は、ゆっくりと、均一なトルクで走る。
    一等賞を目指しているのじゃないのだから、安全に、確実に、だな。


    今年もお世話になりました。
    良いお年を。


    Posted by ゆげ1号 on  | 0 comments  0 trackback

    大正7年の謎

    どうしても解けない謎にぶち当たり、一向に前に進めない。
    でももういいや。謎は謎として、もうぶちまけてしまおう。


    それは、ゆりや食堂が面している小路の過去。


    前回も同じ地図を載せましたが、ゆりや食堂が店を構える小路、あきらかに何か訴えかけてくるものがある。


    ゆりや食堂が面している小路、あぁもう面倒くさいので本ブログでは「ゆりや小路」とさせていただくが、あきらかに元々は円山から続く「裏参道~南一条通り」の一部であったであろうに、ホワーイ何故に(もう通じないよね)その南側に太い道路が出来ていて、現在はそちらが南一条通りとなっているのか。そして西20丁目を境にして、この通りのつながりがあきらかに不自然だ。

    えーと、今回の話、付いてこれませんよね皆さんきっと。
    でも、地名・住所にまつわる歴史好き(マニアやオタクの領域には程遠い)で、自転車趣味と地理・歴史系ネタは自分の中で切っても切れないのもなので、もう完全に

    想定読者=俺のみ

    として書いています。
    今回は特に。

    誰に言ってるのだ、いったい。


    さて気を取り直してネットで色々調べていると、まぁなんとなくこの辺の道路開発経緯は分かった。
    元々西20丁目を境にして西側は円山村・東側は札幌で、円山村から札幌市街地まで一本道が通された。
    これが今で言うところの、裏参道(円山側)からの「ゆりや小路(と言っているのは本ブログだけだが)。
    もともと円山から伸ばしてきただろうから、ゆりや小路が裏参道から地理的に真っ直ぐ続いているのは分かる。

    #ちなみにゆりや食堂が開店したのは戦後間もなくらしいので、当時の人たちに「ゆりや小路」と言っても何がなにやらさっぱりなので注意しよう(しない)。

    その後、札幌も独自の都市計画によっていわゆる「碁盤の目」の都市計画に従って道路を作ってきた。そうすると札幌側の「南一条通り」と円山へ続く裏参道は微妙にずれる。
    この様子は、明治42年の「札幌市街地図」を見てもよく判る。
    さぁリンク先の地図(札幌中央図書館のデジタルライブラリー、いやぁこれ見始めると時間がいくらあっても足りない)を見るが良い。

    こちらです。

    この地図の左端を見ると、西20丁目までが「札幌」で、札幌から一本だけ西(左)に伸びる道があるのが分かる。これが今で言う裏参道で、この道は西20丁目を境に「ゆりや小路」に接続しているのが分かる。
    そしてゆりや小路と、その周りの(札幌の都市計画に従って作られた)道路との間にはゆがみがあるのも分かる。

    まぁ別にゆがんでいても良かったのかもしれないけど、大正の時代に入ってから電気軌道(路面電車)がどんどん張り巡らされるようになってきて、大正12年に札幌側から西20丁目(琴似街道)まで延伸された。そしてその軌道は円山まで延伸することを想定していたのだろうけど、なぜか円山まで素直につながる「ゆりや小路」を通らずに、「札幌の都市計画に沿って作られた南一条通り」を通っている。
    この通りが作られたことで、この通りとゆりや小路にはさまれた三角地帯みたいな地域が生まれた。

    昭和3年の地図、この左端を見ると、上記の三角地帯が生まれ、ゆりや小路の南側、南一条通りに電車が走っているのが分かる。

    ちなみにこの地図、デジタルデータで全25ページ。上のリンクはその12ページ目。
    あぁそうさ、地図全部見て探したさ。
    暇なのか?自分・・・

    想像するに、ゆりや小路は電車走らせるには狭すぎたのかな、と。
    だから小路とは別に、札幌の都市計画に沿った真っ直ぐ西進する道路作って、そこにレール引いたのかなぁ、なんて考えていました。
    そう考えると、なんとなく辻褄は合う。
    そして、メインストリートの座から路地に格下げとなったゆりや小路は、時を止めて時代の流れとはちょっと違う時間軸で今に至る・・・

    と思ったんですけど、一枚の地図がこの仮説に異を唱えやがりました。
    大正7年の地図。この地図の真ん中、左端を見ていただきたい。

    この地図を見ると、大正7年の段階では南一条通りがゆりや小路と接続していて、いやでも都市計画上はその南側にちゃんと真っ直ぐな道作るもんね!という計画が点線で描かれていて、その上で

    ゆりや小路を電車線路が走っている。

    いったいこの線路はなんなんだ?
    札幌市電の歴史上にも、そのほかの馬車鉄道の軌道にも、こんな路線でてこない(調べ方が甘いのかも知れないが)。

    当時、馬車軌道みたいなものは随分街中を走り回っていて、それがどうも大正7年の博覧会を目標に、一気に電気軌道化されていったらしい。そんな馬車軌道のひとつが走っていたのか、それとも地図が間違っているのか・・・


    もう一週間以上、この謎が気になってネットの海を放浪中。
    いやこれは、図書館とかでがっつり調べないとだめかなぁ・・・


    なにやってるんだ、いったい。


    Posted by ゆげ1号 on  | 2 comments  0 trackback

    10年目に突入

    2007年4月28日からスタートした本ブログが、10年目に突入です。
    いやべつに、個人が趣味で書いているだけなのだから、自分が書くの止めなければいつまでも続いていくんですけどね。
    それでも、自分がひとつのことを、こんなに長い間続けているってことにちょっとした驚きを禁じえない。

    自転車を趣味にし始めて10年目(正確にはブログ書く2年くらい前から乗り始めてたのだけど、まぁいいや)。
    その記録をブログに書き始めて10年目。

    その間、GarminのGPS機器、Nuvi関係でアクセスが増えたり、天文関係の記事がちょっとした広がりを持ったりもしたけれども、そういうアクセスの波もいつの間にか凪ぎ、今に至ります。
    ブログを通して、それほど多くはないけれどもネット上やリアルでの交流を持てた方々もいたりして、あぁこれはただノートに日記つけてるだけじゃ得られないんだよなと思います。ただでさえ人見知りで引っ込み思案で煮え切らないおっさんですから、普段の生活ではなかなか他人と交流を持つことはないんですよね。
    そんな、幾人かの人々に出会わせてくれたこのブログと、声をかけてくれた人々に感謝します。


    元々は1号と2号がKHSの小径車、F20-RA(2号のやつは長らくRだとばかり思っていた)でぷらぷらとポタリングする、ゆるーい日記としてスタート。そもそももともと、二人とも自転車を趣味に選んだものの、どーしても自転車乗り、特にその頃住んでいた界隈のロードバイクコミュニティ(つーか店だな)の雰囲気に馴染めなくて、とりあえずクロスバイク(CrossRider)から自転車趣味をスタートさせました。
    その後ややしばらくして、地元に帰省するときにも乗りたいよね、じゃあ持ち運べる自転車がいいね、ってことでKHSを購入。その後ブログを始めるわけです。
    あぁ、その辺の話はブログ初期に書いてました。
    スポーツサイクルに乗り換えたきっかけ

    折り畳み自転車を買ったきっかけ

    この頃は、自転車でどこに行ったのか、何が楽しかったのかって話を意識的に書いていました。
    なんてことはない、自分たちは「自転車マニアじゃなくて、自転車でいろんな楽しいところに行きたい人たちなんだ」みたいなスタンスだったんだな、たぶん。
    だから自転車のスペックとかにはそんなに拘らないぞ、といった雰囲気だったんだと思う。

    ま、その後、特に1号はどんどん自転車の沼にはまっていくのだけど。
    眩暈でぶっ倒れた後に15キロダイエットに成功した(のも自転車にのめりこんでいったおかげではあるのだけど)御褒美にP20-RAC買ってもらい、その後色々あった末にロードレーサーのRaleigh Carlton-Rを買い、北海道に転勤したのを口実にFATバイク、KHSのATB500に手を出し、長らく乗ってきたクロスバイクをロングテール化。

    まぁ10年でこの程度だからかわいいもんか。本物の趣味人ならもっと台数増えててもおかしくない。
    でもこの10年、仕事も家庭もまぁ色々ありまして、1号2号ともにそれほど平和とは言いがたい日々を送ってきたのです。
    その中では、まぁ遊んだほうじゃないかなと、思う。

    ちなみに2号が入手した自転車は、
    CrossRider(後に1号親父へ寄贈)
    F20-RA(一応現役)
    ・Bianchi PisaSport(現役、子供乗せ用に調達したけど、子供を乗せなくなった今でも彼女の買い物自転車として活躍)
    ・Giant SeekR3(これは札幌帰省時の子供乗せ自転車として購入したのだけど、あまり出番が無い中で我々が札幌に帰って来てしまい、まったく使われなくなってしまったので売却)
    ・そして現在、元々1号が御褒美として買ってもらったP20-RACが、彼女が「かっ飛ばしたい」とき用自転車として共同利用中。

    うむ、振り返ってみると彼女はその時々で自転車を入れ替えしてるんだな。
    一度手を握ったら離せない1号との性格の違いが出て面白い。

    まさかまさかの子を授かり、チャイルドシートも変遷しました。
    アイバートのセーフティシートからスタートし、Hamaxに切り替え、その一方で「チャイルドトレーラー」も導入。
    特にトレーラーは、日本の住宅事情ではなかなか所有が大変(畳めるけどね、使いたいときに展開する手間が・・・)だけど、安全だし乗り物として楽しいし、荷物もいっぱい積めるのでもっと普及して欲しいなぁなんて今でも思います。


    そんなこんなで、自転車でどこへ行ったそこへ行ったみたいな走行記を縦糸に、自転車のパーツや本体、便利なグッズの話や海外通販の話なんかを横糸にして、まぁ薄い生地のブログを織って来ました。
    これからも第一義は自分たちの備忘録(いつタイヤ交換したっけなーみたいなことが全部このブログに記録されてるので、とても便利)なのですが、もし読まれている方々がいらっしゃいましたら、今後ともご愛顧のほどを、なにとぞ。


    いやらしい話ですけど、コメントいただいたり拍手いただいたりするとすげーうれしいです(笑)
    散々「自分のために記している」みたいなこといってるくせにねー


    さぁ、10年目に踏み出します。

    そろり。

    Posted by ゆげ1号 on  | 0 comments  0 trackback

    OM-2

    昨年末の忘年会で、大学時代の先輩とふとしたはずみでカメラの話が盛り上がり、身内からオリンパスのOM-10を借り受けているうちになんとなくもらうことになってしまった話をしたら、「えぇ、OM-10使ってるの?じゃあ処分しようと思ってたOM-2あげるよ。ついでにレンズも何本かあげるよ」ってなって、いつの間にかオリンパスの一眼レフが2台、レンズも6本体制になってしまった。



    その先輩の教えに従い、まずはピントあわせをあんまり意識しなくても良い28mmレンズメインで修行中。
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    OM-2とぶら下げ、息子と藻岩山へ。

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    さすがフィルムカメラ、氷点下でも電源落ちない(笑)

    いやまぁそれはおいといて、OM-2って私(1号)とあんまり歳変わらない、40年以上前の製品。
    それでも、しっかりと仕事するんだからすごい。
    あとは、こっちがどれだけ習熟していくか、だ。

    でもさ、これだけ晴れてて光量が申し分ない状態だと、スマホでも結構綺麗に撮れるんだよな。
    1601241341.jpg 
    こんな感じ(Xperiaの内蔵カメラ)。
    だから、技術のない素人(=私みたいなの)がパシャっとシャッター押すだけなら、間違いなくスマホのカメラの方が綺麗に撮れる。
    でも、なんか、そういう話じゃないんだよ。
    上手くいえないんだけど。


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    おまけでもらった、品質保持期限表示が8年前を差しているフィルムで撮ってみたら、やっぱりフィルムが退色気味で撮った写真が全部昭和風味(笑)
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    1-IMG_20160117_0008-001.jpg 
    現在のトップ写真のうちの一枚。
    これも昭和な色合いになってしまった。まぁそれはそれで面白い。

    このもらったフィルム、あと2本あるので、残りは大切に保管しておこう。
    そして10年後くらいにもう一回写してみて、どんな写り方するのか見てみよう。


    それにしてもさ、フィルムカメラってお金かかる。
    フィルム買って、現像&同時プリントに出すと24枚でも2000円くらいかかってる。
    撮影はとても楽しい。デジカメよりはるかに色々考えながら、手も足も動かして祈るようにシャッターを切るのは、本当に楽しいんですよ。
    でも枚数撮らないと上達しないだろうし、さりとて撮れば撮るほどお金がかかる。
    いや趣味ですから、お金のことは言うまい、とは思うんだけど・・・

    さて、私のおこづかいでやっていけるのだろうか・・・


    Posted by ゆげ1号 on  | 0 comments  0 trackback

    走らなかったけどね

    大晦日。
    今年もあと1日で終わるわけですが。

    今年はあんまり自転車には乗れなかったなぁ、ってのが正直な感想。
    ロングライドらしきものなんて、丁未峠に行った位か。
    あとはひたすら、小林峠とかばっかり走っていた。
    まぁ、今年はそういう年だったんだ、と。

    でも、自転車との関わりはそんなに薄くなかった。
    去年までとの違いで一番大きかったのが、他の人とちょっとだけ走るようになったこと。
    南風自転車さんのイベントとか、職場の人と走ったりとか。
    これはこれで、楽しかった。
    来年も、手の届く範囲でぼちぼちと、他のサイクリスト達と交流ができればいいな。

    あと、息子自転車。
    練習法、自転車の整備、本人のモチベーション。
    そして救急搬送。
    本当に盛りだくさん。

    そして、まさかのロングテールバイク入手。
    これは来年に繋がる手ごたえをちょっと感じています。
    今年の冬自転車は、FATとロングテールの2台体制。まぁあんまり焦らずに、こちらも手の届く範囲で、ぼちぼちと。


    自転車に乗れない分(という意識は元々無かったんだけどな)、今年はおもに5月くらいからジョギングを始めたのだけど、これがまさか、月間100キロ弱走るようになるとは・・・去年の自分からはまったく予測できなかった。
    本当に、人生は何が起こるか、判らない。


    そうなんですよ。
    本当に、先のことなんてわからない。
    でも、目の前のことに、及び腰でもいいから巻き込まれてみて、へっぴり腰でもいいから楽しんでみる。いや楽しいことばかりじゃないけどさ、巻き込まれてみるんだよ、敢えて。

    その延長線上に、まだ見えぬ来年や再来年があるんだ、きっと。


    そんなわけで、公私ともども悲喜こもごもなれど、過ぎてみればちゃんと愉快な1年でした。
    来年は本ブログも10年目に突入するかもしれませんが、まぁ別に多くの人に読まれているわけでもないし、これからも誰に読まれるでもなく、誰の役に立つでもなく、それでも自分の記録、logとして、淡々と綴っていくのだろうなと思います。


    そんなわけで、来年がどんな年になるのか、想像もつかない(したくも無い事情もあり)ですけど、今年はこれでよかった。
    来年もよろしくお願いいたします。


    良いお年を。



    Posted by ゆげ1号 on  | 0 comments  0 trackback

    地元に戻って1年経ちました

    走っていようがサボっていようが、時間は変わらぬテンポで流れていきますな。


    まさかの地元への転勤から1年。
    なかば呆然と、帰省するたびに眺めていた札幌駅の駅舎を眺めていたあの日がもう随分昔のことのように感じます。

    なんかあれから、いろいろあった。
    仕事でも、プライベートでも。
    どうせならいろんなことに巻き込まれてやれと開き直ったから、かもしれないけど、盛りだくさんだった。

    仕事はともかくとして。
    FATバイク買って、もう二度と弾かないだろうと思っていたギターをまた引っ張り出し、まさか自分が?といわざるを得ないランニングをやり始め、自転車も仲間と乗る機会を作り始めた。

    散々悩んだ挙句、2号と3号は東京でやってた自主保育を続けるために3月まで毎月10日間ほど上京し、そのおかげで2号はウィークリーマンションの達人になり、3号はうっかり者の2号に代わり道順を覚えたり外出時に鍵を忘れずにかけることをしっかり覚えた。


    2号が(軽くだけど)交通事故に遭い、3号が自転車に乗れるようになった。

    デジカメが壊れたところに銀塩カメラがたまたま転がり込んできて、意外とはまった。


    さぁ2年目はどうなることやら。
    来年の自分の境遇は正直どうなっているのか、変わってるのか変わらないのかも含め全然わからないのだけど、その不安はいくら考えてもどうにもならない。だからしばらく、気にせずに進もう。


    あ、もちろん仕事もやってますよ。
    ほんとですってば。というかサラリーマン人生で一番残業したもの。
    えぇ。


    今後ともよろしくお願いいたします。


    Posted by ゆげ1号 on  | 0 comments  0 trackback
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